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2009.07.11(Sat)
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中山道(なかせんどう)の木曾奈良井宿(長野南部旅行3/9)

奈良井宿の石碑
奈良井駅から中山道の奈良井宿に入ります。奈良井宿は宿場町になっており、当時の面影そのままの状態の通りです。数百年前にタイムスリップしたような奇妙な感覚がします。
ちなみに、中山道(なかせんどう)は中仙道とも書かれ、は江戸時代の五街道の一つです。他の四つは東海道、甲州街道、奥州街道、日光街道です。

奈良井駅前に掲げれた大きな地図の下に奈良井の歴史が説明されていました。

奈良井の歴史

中山道は慶長七年(1602)徳川家康によって定められた五街道の一つで、東海道と並び江戸と京都を結ぶ主要街道として重要な役割を果たしてきました。奈良井宿は木曾11宿中北から2番目の宿場町で木曽路のなかではもっとも標高の高い位置(約940m)にあり、木曾谷中の最大の難所鳥居峠(標高1197m)をひかえ「奈良井千軒」といわれるほどの賑わいをみせていました。
当時を偲ばせる奈良井宿の町並みは昭和53年に「楢川村(現:塩尻市))奈良井伝統的建造物群保存地区」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。奈良井宿の町家の多くは江戸時代末から明治時代にかけて建てられたもので、二階が一階よりも1尺5寸(45cm)ほど前にせり出した「出梁造」(だしはりつくり)という形式です。一階と二階の境に取りつけられた小さな屋根(猿頭・鎧庇)は中山道でも奈良井宿だけにみらえるものです。


冒頭の写真は「木曾 奈良井宿」と刻まれた石柱と奈良井宿の説明版です。長文ですが説明を以下に転載します。

国選定重要伝統的建造物保存地区
長野県塩尻市奈良井
Important Preservation District for Groups of Historic Buildings Narai,Shiojiri City,Nagano Prefecture

所在地 長野県塩尻市奈良井
面 積 約17.6ha
選定年月日 昭和53年5月31日

奈良井は、戦国時代に武田氏の定めた宿駅となっており、集落の成立はさらに古いと考えられる。慶長7年(1602年)江戸幕府によって天馬制が設けられて中山道六十七宿が定められ、奈良井宿もその宿場の一つとなった。
選定地区は中山道沿いに南北約1Km、東西200mの範囲で南北両端に神社があり、町並みの背後の山裾には五つの寺院が配され、街道に沿って南側から上町、中町、下町の三町に分かれ、中町に本陣、脇本陣、問屋が置かれていた。
奈良井宿は、中山道最大の難所といわれた鳥居峠をひかえ、峠超えにそなえて宿をとる旅人が多く「奈良井千軒」とよばれるほどの賑わいをみせた。現在も宿場当時の姿をよく残した建物が街道の両側に建ち並んでいる。
建物の大部分は中二階建で、低い二階の前面を張り出して縁とし、勾配の緩い屋根をかけて深い軒も出している。屋根は石置き屋根であったが、今日はほとんど鉄板葺きである。二階正面に袖壁をもつものもあり、変化のある町並みを構成している。

Narai-juku was one of the post towns on the Nakasendo highway officially ruled by the Edo Shogunate and situated exactly between Edo and Kyoto. As it retains a historical row of Edo period houses along the street, it was confirmed as a Cultural Asset in 1978 and is maintained by the government grant system.
The conservation area extends about 1Km north to south and about 200m east to west along the environs of the old highway. There is a shrine at both the north and south end, as well as five temples among the row of the houses. In Nakamachi(the middle part of town) the highway is at its widest and here stood the Honjin(where the feudal lord stayed) and Wakihonjin(where his subordinates stayed).Also in this area the houses have very wide doorway. Many comb-makers or woodworking craftsmen lived in Kanmachi(the upper part of town) and shimomachi(downtown).
The Torii Pass to the south of Narai was considered one of the most difficult ones to go through on the Nakasendo highway. Narai-juku prospered because travelers rested and stayed there in order to prepare for crossing the pass. The buildings are unique in that the second floor overhangs the first, with eaves sloping further to overhang the entire building. Most of the roofs now have steel sheets. but originally they were wooden slats held down by rocks.
Visitors come from all over Japan to see these historical buildings.


奈良井宿の光景
奈良井駅から奈良井宿に入って直ぐの光景です。街道の左右に隙間なく木造の建物が並んでいます。多くの建物は中二階になっており、二階の屋根が突き出た形状をしています。これが「出梁造」(だしはりつくり)ですね。

奈良井宿の水場「下町」
奈良井宿に入って5分ほど歩くと水場がありました。「下町」という名前です。奈良井宿は江戸に近いほうから下町、中町、上町と分けられています。

奈良井宿の旅館「あぶらや」奈良井宿の民芸品「花野屋」
奈良井宿の建物です。左が旅館「あぶらや」。右が民芸品店の「花野屋」です。どちらも二階が迫り出し、縁を成した造りをしています。

奈良井宿から東方向を見る旅館「越後屋」前の通り
歩いてきた奈良井駅の方向を見ると既に駅は見えません。
先に進み奈良井会館を過ぎた辺りで道が大きくカーブしています。眼前に迫るような山々が望めます。往時の人々もこの光景を見ていたのでしょう。

奈良井宿の上問屋史料館前の通り上問屋史料館前の石碑
「上問屋史料館」とその前にあった石碑です。「史跡 明治天皇奈良井行在所」と「明治天皇御駐輦所」と刻まれてた二つの石碑があります。

宿場では、一定数の伝馬(宿駅用の馬)と歩行役(人足)を常備していましたが、奈良井宿でこの伝馬と歩行役を管理運用していた問屋が「上問屋」だったそうです。上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新までおよそ270年間継続し、今では資料館として公開されています。

奈良井宿の「荒沢不動尊」奈良井宿の水場の一つ「鍵の手」
中町と上町の間にある「鍵の手」です。水場と「荒沢不動尊」があります。水場では小さい子供達が水遊びに興じていました。今でも奈良井宿に生活する人々の生活に溶け込んでいます。

奈良井宿の「元櫛問屋中村邸」(中村屋)
上町にある「元櫛問屋中村邸」(中村屋)です。奈良井宿の典型的な民家造りの家屋です。大きく張り出した二階が「出梁(だしばり)造り」と呼び、二階から伸びる屋根、一階の軒になっている庇(ひさし)には、「猿頭(さるがしら)」と呼ばれるサン木が等間隔に縦に走っています。

ちなみに「元櫛問屋中村邸」(中村屋)は市指定有形文化財に指定されており、入場料は200円です。

奈良井宿の一風変わった石造家屋「石屋」
「高札場」、「鎮神社」の方向に歩を進めていると、木造の家屋が多い奈良井宿の中で、一風変わった石造りの家屋がありました。札を見ると「石屋」とあり合点。石を扱う石屋だから石造りみたいです。

奈良井宿の水場「宮の沢」奈良井宿の高札場
「鎮神社」の手前に、「宮の沢」という水場とその隣に「高札場」があります。
「高札場」は江戸時代に幕府の法律や掟を周知させる目的で札が掲げられていたそうです。奈良井宿のは昭和48年に復元っされたものです。

奈良井宿の高札場と宮の沢の説明版
高札場の隣に、高札場と奈良井宿の水場を解説した説明版がありました。以下に全文転載します。

奈良井宿高札場 Nraijuku Kosatsu-ba(notice boad)
高札場は、江戸時代、幕府が定めた法律などを人々に周知徹底させる目的で、掟、条目、禁制などを板に書き掲げていた場所である。宿場町の高札場には、とくに宿継ぎの駄賃を定める高札なども掲げられ、また、宿場間の距離を測る基点ともなっていた。
奈良井宿の高札場は、京方の入口にあるこの場所におかれ、明治のはじめごろまで使われていたが、その後街道の廃止にともない撤廃された。この高札場は、当時の絵図にもとづいて昭和四十八年に復元されたものである。

水場(みずば) Water-place
奈良井宿の町並みを特長づけている水場は生活に欠かせない生活用水の確保や、火災が発生した場合に連なる家々への延焼を防ぐために、山からの豊富な沢水や湧き水を利用して設けられた。また、中山道を歩く多くの旅人が難所鳥居峠を越えるために水場で喉を潤した。現在奈良井には六箇所の水場が整備され、それぞれ水場組合を作り、維持・管理を行なっている。


鎮神社から撮った奈良井宿の風景
「鎮神社」から眺めた奈良井宿の風景。街道の両側に家屋が延々と建ち並び、視野の終わりまで続いています。
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