2008.07.20(Sun)
三連休で三宅島に行ってきました!8/14 溶岩に埋もれた「旧阿古小中学校」を観光

阿古地区の商店で買い物をした我々は、そのまま阿古地区の北側にある、溶岩に飲み込まれた旧阿古小学校、旧阿古中学校にやって来ました。
旧阿古小学校、旧阿古中学校は1983年の噴火で溶岩で飲み込まれた学校。溶岩に埋没したままの状態で保存されています。
これは帰りに民宿「おしどり」の方に聞いた話ですが、この時の噴火によって三宅島の最大集落であった阿古地区400戸の住宅が溶岩に飲み込まれたそうです。
三宅島の噴火の規模の大きさ、恐ろしさを示す三宅島でも有数の観光名所となっています。
なお、高台から阿古地区を一望した写真はこちらのエントリーでご覧いただけます。

旧阿古小中学校の西側から見た校舎の窓。窓枠のアルミ部分が熱でひしゃげてしまっている。窓ガラスは完全に無い。

校舎の西側にはプールがあるが、雑草が生い茂り、当時のプールが使われていた様子を想像するのは難しい。

遠くに見えるのが旧阿古小中学校の校舎。小学校の校舎から中学校の校舎か分からないが、校舎の天辺がこれだけ低くなってしまっていることが、うずたかく積もった溶岩の量の凄まじさを物語っている。

校舎の海とは反対側、北西方向には一面に溶岩原が広がっている。溶岩原に埋もれた校舎の風景の異様さがよく分かる。

校舎の周辺にはL字型に板式の遊歩道が用意されている。ちなみに遊歩道から溶岩原や校舎の中には入ってはいけません。また溶岩の持ち帰りは禁止です。

先ほどの校舎の屋上。目線が校舎の天辺とほぼ同じになっている。2~3階の高さに溶岩が積もり固まっていることが分かる。

校舎の屋上付近の窓。窓の中から覗える室内には、机や椅子だと思われる廃材が散乱している。

校舎前の真っ直ぐと海に向かっている板敷きの遊歩道。まるで海に通じているようだ。
この遊歩道の突き当たりに体育館がある。

溶岩に飲まれた体育館。屋根は完全に落ち、鉄骨は大きく変形してしまっている。溶岩の熱の凄まじさが伝わってくる。

体育館の中はほとんどが溶岩に埋め尽くされてしまっている。体育館の右隣に見えるのが、恐らく音楽教室か科学教室ではないかと思われる別棟。

音楽教室か科学教室ではないかと思われる別棟。こちらも窓ガラスは完全に落ち、窓枠だけになってしまっている。

窓から見た室内の様子。元々は何だったのか想像できない廃物が散乱している。

更に置くにある別の建物。ここで板敷きの遊歩道は終わり。ちなみに写真には撮らなかったが、恐らくは溶岩で亡くなった、多分学校で飼っていた犬を偲ぶ落書きがあった。

板敷きの遊歩道が終わると、折り返すように石で舗装された通路が溶岩原を貫いている。

溶岩原の遥か向こうに見えるのが、校舎の頂上。この辺り一帯が溶岩に飲まれてしまっていることが分かるだろう。

南側、海側に面している校舎。先ほど音楽室か科学教室ではないかと書いた建物だ。窓ガラスを別にすればよく原型を留めていると思ってしまう。

校舎と体育館の間に流れ込んだ溶岩流が、流れ込んだままの状態で冷え固まっている。
固まっている状態を見ると、溶岩が流れる速度はそれほど速くはなかったと思われる。

反対側から見た体育館。体育館の中には溶岩が高く積もっているのが分かる。速度はそれほどでもなかったかもしれないが、大量の溶岩が流れ出たのだろう。
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