2008.07.21(Mon)
三連休で三宅島に行ってきました!13/14 阿古地区を一望し、生島新五郎の墓を観て、大船戸海水浴場で泳ぐ

出発の準備を整えた我々は最後の観光にと、三宅島一周道路を西へ向かう。
まだ三宅島の北西部、伊ヶ谷(いがや)や伊豆(いず)地区には行っていなかったので、三宅島一周を完走するために西へ西へと車を走らせる。
昨日通った阿古の商店街を抜けて、車を走らせると小高い丘になった展望台で車を止める。
ここから溶岩に埋もれてしまった阿古地区が一望できるという。

溶岩で埋もれる前の阿古地区の写真が飾れた看板。写真を見ると往時は栄えた一帯であったことが分かる。
また、看板には「阿古温泉郷」とあることから、温泉が湧き出ていたのだろう。

「阿古集落跡」と題された看板。1983年(昭和58年)の噴火で400戸の住宅が飲まれ、溶岩原の下に埋まっているという。幸いなことに1300名の住民の生命は難を逃れたそうだ。

展望台から見下ろした阿古地区一帯の様子。遥か彼方に昨日見た旧阿古小中学校が確認できる。
校舎の大きさに比べても、遥かに広い面積の溶岩原が圧倒的だ。

展望台の片隅には太陽光発電で発光すると思われる街灯がありました。

三宅島一周道路を北上し、辿り着いたのが伊ヶ谷地区にある「生島新五郎の墓」。江戸時代の歌舞伎役者の墓だ。

生島新五郎は、有名な「絵島事件」のために三宅島に流刑になり、ここ伊ヶ谷でその生を閉じたのだそうだ。

「絵島事件について」と題された看板があり、「絵島事件」について詳しく解説されている。リンク先の画像は大きめにしたので、読みたい方はお読みください。

大奥最上位の大年寄である「絵島」は長野に流された。「生島新五郎の墓」はやや北方向に表を向けている。恐らくは長野の信州高遠の方角に向いているのだろう。

「生島新五郎の墓」付近から見た大船戸海岸。昨日に比べてやや海が凪いでいる。

そのまま「大船戸海水浴場」で泳ぐことにしました。

初めは潮でベタベタになるので海に入るのは止めておこうと思ったが、ジリジリと日照り続ける太陽の暑さに敵わず泳ぎました。
大船戸海水浴場は中々豊かに生物が住んでいるらしく、エイ、それに俺は会えませんでしたが、海亀がいたみたい。

一通り海で泳いだ後に、民宿「おしどり」へ戻りシャワーを借りて、荷物をまとめる。
荷物をまとめておえて、「そういえば、昼間の坪田小中学校を撮っていないな。」と、写真を撮りに行きました。

「おしどり」に戻ると、宅配便に送るために荷物をレジャーシートで包んでました。
なんで、レジャーシートに包んでいるのかというと、二つのカバン、それにフィンを一つにまとめたいから。

グルグルとレジャーシートに包み、ダンボールで固定していきます。

手早いもので5分も掛からず梱包完成。
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