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2007.01.03(Wed)
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初仕事

今日は初仕事。といっても当番業務なのでヒマ。凄くヒマ。
ヒマついでに普通の仕事を終えたけど、またクダラナイメールを見てイラっとする。

この会社には尊敬する人、目標となる人が全く少ない。新卒で入社し6年が経とうとしているが、この会社で自分が尊敬していると言える人物は数えると4人だけである。
そのうち1人は上司とソリが合わず退社してしまった。非常に残念である。
この人は非常に視野が広く一歩、二歩先を見抜ける人だった。例えばブログというサービスがある。今や広く普及しているが、日本で普及する数年前にこれが流行ると予想していた。そして見事に的中した。
この人の能力を見抜けなかったこの上司は本当にダメな奴だと思う。

また4人のうちの1人は、転職を繰り返してこの会社に入社した。多くは言えないが波乱万丈の人生を歩んできた人である。この人に言われたのが「自分が働いている会社を『うち』とか『うちの会社』とか私は言わない。そういう風に言うということは自分と会社を一体視しているということ。特に新卒で入った人はそういう風に言う傾向がある。だけど、会社はただの取引相手、取引先に過ぎない。そういう風に言うということは、心のどこかで自分=会社と見てしまっていて、会社のためになることが自分のためになると勘違いしてしまっている。だけど会社はそうは見ない。そう考えて働いているといつか痛いしっぺ返しが来る。」
この言葉を聞いて依頼、そういう言い方を止めた。事実その「痛いしっぺ返し」を受けた人を何人も見てきた。

自分は、ただ「社歴が長い」「先輩である」というだけでは全く尊敬できない。自分より優れた能力があり、且つ人格的に優れている人に敬意を払う。社歴の長短、入社年など関係ない。
逆に「おまえより先に入社しているのだから俺に敬意を払え」という人には全く従えない。
当たり前だが、自分には無いもの、自分より秀でているものを持っているから尊敬とか敬意という感情が湧くのであって、強制されて湧くものではない。
もちろん、尊敬とか敬意という感情は能力面だけではなく、人格面も含んで湧いてくるものだろう。

入社した当時はもちろん右も左も分からぬ新人であるから、同じ会社の人間から受ける刺激は少なからずあった。
しかし2年、3年と過ごすうちに同じ会社で刺激を受ける人は上述の4人だけからのみ。この会社の人間から刺激を受けるということは滅多になくなっていた。もっぱら刺激を受けるのは外部の会社の人間からである。
特に外部の会社の人間と折衝するようになったここ3年辺りからは、この会社の人間と外部の人間を比べると、この会社の人間は明らかに圧倒的に劣っている、と感じるようになった。

例えばバリバリの電通マンでライブドアに入社しスピンアウト後に独立した人、例えば超有名ブロガーであり幾つもの会社を経営している人。例えばベンチャー企業に勤めながら圧倒的な知識と技術を持っている人。物議をかもした某ポータルサイトを影から技術面で支えている人等々。

外部の人間には1を言えば通じる。専門外のことであっても2、3を言えば通じることが多い。しかしこの会社の人間は、1では全く足りない。2、3でもダメだ。結局1から10まで説明することになる。
毎度毎度何かをしようとするときに10まで説明しなければならない。10を説明する労力、資料作りやデータ収集に費やす時間。全く無駄だ。
そのくせ自分は知っている振りをする。欺瞞的であり謙虚さというものがまるで無い。

百歩譲って、外部の人間はいわばと渉外窓口であるから、知識があり弁が立つのも当然だと言えるかもしれない。
本当にそうだろうか?自分はこの会社では顔の広い方だ。様々な部署の人間と付き合いがある。敢えて視野を広げるためにそうしてきた。それでもそう思ってしまう。1で説明が済むことなど稀だ。

この会社に対するもう一つの不満点は全く教育制度・研修制度が無い点である。
今まであった研修制度は名刺の渡し方受け取り方だけである。それ以外は皆無。OJTでさえまともに無かった。自己練磨が全てであった。

また、非常に社員に対する強制購入が多いことも不満だ。例えば生命保険、傷害保険、その他もろもろ。給与を得るために働いているのに、その給与がまた搾取されてしまう。しかも頻繁に多額にである。

6年という年月は短いようで長い。振り返るとそれなりに仕事は楽しかったと思う。配属先の部署の人間関係が良かったこともある。
自画自賛はしたくないが、自分なりに相当な努力を払ってきた。このブログのカテゴリでもあるCSSの知識は独学で得たものだ。勿論これだけではない。制作実務、制作指揮、部下の教育、他社との折衝、他部署と連携等々。業務範囲は多岐に渡っていた。
努力し得た知識、技術、そして数多くの外部の人間と会うことで得た経験で何とかこなしてきた。
もちろん辛いことや腹正しいことも数多くあったが・・・

自分の就職活動の時期は、就職氷河期に当たり、また個人的な事情もあって、なるべく早く就職を決めたかった。今でこそ就職活動にはコツというものがあったと思えるのだが、当時は焦ってばかりいた。追い立てられていた。
焦ってばかりでは事前準備が不十分になり、自己ピーアールも面接もうまくいかない。納得いかないまま就職浪人するわけにもいかず、この会社に入社してしまった。
もちろん大学の同期の中には有名企業や業界大手に就職した人間も沢山いる。就職氷河期のせいだけには出来ない。
事前準備の不十分さ、情報収集の不十分さ、そして就職活動に対する認識の甘さ等自分の中にも原因があった。当時の自分の行動・認識の甘さを非常に悔いている。

先日久しぶりに大学の親しかった友人から連絡があった。同じく就職氷河期で就職に失敗しハローワークに通って職を得た。彼が職を得たという連絡を貰ってから数年ぶりの連絡であった。自分からも気が引けて連絡を取るということはしていなかった。
結婚をするという。しかも転職をしていた。転職先は業界では世界で5本の指に入る団体だ。

彼は非常に努力家であった。学生時代から努力を重ねてきた。初めの就職先でも弛まず努力を重ねていたのだろう。その努力がようやく実った形だ。
人生は自分で切り開くもの、よく聞くセリフだがその実践例が彼なのだ、と痛感した。
自分も人生を切り開かなければならない。もっと努力しなければならない。

自論ではあるが、社会に出てしまうと人生の大部分を勤めている組織に費やさなければならない。
それを費やすだけの価値はあるのか?費やしただけのリターン、金銭的なものだけでなく人生に置いて、はあるのか?
ある意味、その組織に自分の人生を捧げいるである。そうである以上、そういう視点で考えるのも必要だ、と思っている。

自分の人生を捧げるに見合う価値があるかどうかは明らかである。
人生の転換点を自分で作らなければならない。
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